定時通信 #4|2026年8月22日(土)

『タクシードライバー』学会発表と岸惠子訃報など
伊藤弘了 2026.08.22
読者限定

今週の「定時通信」をお届けする。

金曜20時の配信に間に合わなくて申し訳ない。

内容がない(「よう」をつい入れたくなる)状態でも「定時通信」として何かを送ることも考えたが、やはり半端な状態で出すよりは、一日遅れでも書くべきことを書いてからのほうがよいと判断した。

釈明は次節に譲る。

■ 観測外報

8月21日(金)、つまりこれを書いている時点から見て昨日は、日本映画学会の例会に参加していた。僕は午後からのワークショップのセッションに登壇し、映画『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督、1976年)について発表した。

直前までその準備に追われ、発表後は早稲田大学の長谷正人先生によるミュージカル映画の大傑作『バンド・ワゴン』(ヴィンセント・ミネリ監督、1953年)をめぐる大変楽しい発表に浸り(マイケル・ジャクソンと小津安二郎、濱口竜介に関する質問もさせていただいた)、その後は懇親会(0〜2次会まで)へと流れるように進んでいった。そういうわけで、定時通信を書き上げるための時間と場所を持ちえなかったというわけである。

僕の発表自体はそれなりにうまくいったと思う。ワークショップ形式なので、僕のあとに別の3名が発表をおこない、それに続いてフロアに議論を開いた。フロアとの応答は規定の時間まで絶えることなく続き、僕の発表に対する聴衆の反応も悪くなかった。

今回の発表は論考に仕立て直して出版される予定である(つまり〈器〉を変えることになる)。だからここでは詳しく立ち入ることはしないが、発表の核はほぼ次のスライドの通りである。

いずれも主人公トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)のセリフにある言葉である。「いつでも、どこでもいい」と言っていた男は、やがて「向かうべきどこか」を考えるようになり、それを見定めてからは「自己組織化(自己鍛錬)」に励むようになる。そして、一方向しか見えなくなった(つまり視野狭窄に陥った)トラヴィスは、例の暴挙に及ぶに至る。

しかし、その結果として、皮肉にも社会は彼を「英雄」として祀りあげることになる。なぜか彼の過剰な暴力、逸脱的な暴力は社会規範に適合してしまう。

『タクシードライバー』を論じる際、しばしば西部劇が参照されるが、そのような暴力を正義と見なしてきた文化装置こそ古典的な西部劇にほかならない。

そして、そのような西部劇の枠組みを作り出し、活用してきたのは、アメリカ社会そのものである。自分の部屋すらろくに片付けられず(組織化できず)、自分の健康すら満足に管理できないトラヴィスにもかかわらず、他人を正しい場所に置き直そうとするトラヴィスは、国内問題を放置して他国の戦争(具体的にはヴェトナム戦争)に干渉し、世界の警察(僕の言い方では世界の治療者)たろうとするアメリカの戯画である。

つまり、トラヴィスの歪んだ暴力は、西部劇の、そしてアメリカの歪みとぴたり一致している。だから彼はアメリカ社会の英雄になれた、なれてしまったのである。あの結末は、その現実に対する痛烈な皮肉になっており、それがアメリカン・ニューシネマらしい批評性につながっている。

なんだかんだで内容について書いてしまった。おおむね上記のような内容を、映像を参照しながらもう少し詳しく肉付けしていったのがじっさいの発表である。

■ 観測予定

  • 定時通信 #5|8月28日(金)

次回こそは「定時」を守りたい。

■ 観測対象

女優の岸惠子が8月7日に亡くなっていたことを、所属事務所が19日に発表した。

句点のない元祖『君の名は』(大庭秀雄監督、1953年)のヒロイン役として知られる、昭和の大女優である。「君の名は」三部作は、当時の配給収入ランキングを席巻し、社会現象となった。

僕が研究している小津安二郎の監督作品では『早春』(1956年)に出演している。直接お目にかかってお話をうかがう機会をついに持ちえなかったことを残念に思う(ひとえに僕の力不足である)。

■ 庭を育てる

『君の名は』の監督である大庭秀雄(1910 - 97)の「大庭」は「おおば」と読む。「庭」の語源を「場」とする説を裏付ける一例だろう(かつては「庭」を「ば」と読んでいた)。「庭」の意味は、時代を経るにつれて変化してきたのである。

「庭」とは、古来、人間が人間外の事物に触れるための場所として存在していた。古代から中世にかけての家屋においては、家の入り口、台所、店先などの現代でいうところの「土間」のことを「ニハ」と呼んでいた。とくに農家ではこの土間=ニハを穀物の調製をしたり、藁工品の製作をしたりする作業場として用いていたという。人びとは、文明が発達するなかでその事物とコミュニケーションを取る「場」を「庭」として、その家屋や敷地内に、より私的な領域に取り入れていったのだ。

宇野常寛『庭の話』講談社、2024年、91頁

我々は言語の正確な起源を知らない。実はよく知らない言葉を、自分のよく知る言葉であると信じ、あたかも自分自身の言葉であるかのように発しているに過ぎない。「庭」を通して、改めて言葉の他者性、言語の物質性を突きつけられた。

だから『君の名は』のことなど知らない人でも、『君の名は。』(新海誠監督、2016年)を楽しめるのである。『君の名は』が存在しなければ、少なくともあの映画は『君の名は。』というタイトルにはなっていなかったはずだし、映画自体の内容も異なるものになっていたかもしれない。

■ 拾得物

学会が開催された杏林大学(井の頭キャンパス)の最寄駅は吉祥寺か三鷹である(ちょうど両者から同じくらいの距離にある)。当初はそのどちらかの駅に宿を取る予定だったが、地図を見ていたらふと三鷹の隣にある地名を見つけた。

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