この映画を見よ:黒澤明『椿三十郎』|観測再録 #3
黒澤明(1910年3月23日 - 1998年9月6日)の命日に寄せて、『椿三十郎』(1962年)の映画評を再録する。
黒澤明「椿三十郎」 三船敏郎の「あばよ」が史上最も美しい幕切れとなったワケ
【初出:2022年4月15日「よくばり映画鑑賞術」『ひとシネマ』(毎日新聞社)】
あなたは黒澤明の映画を見たことがあるだろうか?
「日本映画の巨匠として名前くらいは知っているけれど、実は見たことがない」という人は案外多いのではないか。「黒澤映画くらい見ておかないと」という無言の圧力を感じた経験を持つ人も少なくないだろうと思う。
とはいえ、あまりに高名であると逆に鑑賞のハードルが上がってしまうものである。代表作のことごとくが白黒映画であることに抵抗を感じる向きもあるだろう。代表作の『七人の侍』に至っては上映時間が3時間半近くにも及んでおり、きっかけがないとなかなか手が出しづらいかもしれない。
だが、やはり黒澤映画は見ておくべきである。「べき」などと押しつけがましく言うと時代錯誤な教養主義者と見なされてしまいそうだが(もっとも、その教育効果はあながちバカにしたものではないと信じているが)、だまされたと思ってぜひ見てほしい。黒澤映画は、とにかくめちゃくちゃおもしろい。見ないでおくのはあまりにもったいない。
では、何から見ればいいのか?
黒澤映画の最初の一本として、僕は『椿三十郎』(1962年)をおすすめしたい。映画の娯楽性と芸術性をきわめて高い水準で両立させており、黒澤らしさや俳優・三船敏郎の魅力を存分に堪能できる快作だからである。
今回は「反復」に注目して『椿三十郎』を見ていく。一般的に、映画を見る際のポイントは無数に存在するが、シンプルかつ実践的なのは「反復」を意識することである(批評家目線を疑似体験できる)。
映画のなかに繰り返しあらわれるものは重要である可能性が高い。それを捉えられれば鑑賞の質は格段に上がるし、そこを起点として独自の感想を言いやすくもなる。
また、反復は半ば必然的に差異を伴う。似ているように見えても、どこかに違いが生じる。いや、似ているからこそ違いが際立つと言うべきか。その「差分」にこそ映画のエッセンスが凝縮されているのである。反復される対象はセリフだったり構図だったり、音楽だったり小道具だったり俳優の仕草だったりと多岐にわたるが、『椿三十郎』ではとりわけセリフの反復が効果的に機能している。
能書きを垂れるのはこれくらいにして、分析に移ろう(ここから先は、映画の核心および結末に触れる)。