この映画を見よ:小津安二郎『秋刀魚の味』|観測記録 #4

映画は人間だけを見る芸術ではない。
伊藤弘了 2026.07.26
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小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』(1962年)のラストの“凄まじさ”を、最近ようやく言語化できるようになった。

まずはこちらの画像をご覧いただきたい【図1】。

【図1】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図1】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

『秋刀魚の味』には、同じ構図の廊下のショットが何度も登場する。しかし、まったく同じショットではない。この廊下の場合は、わかりやすく照明の変化が見てとれる。映画の終盤に向けて、だんだん暗くなっていくのである(この廊下の分析は僕の卒論でも取り上げた)。

構図を活用した「差異をともなう反復」は、小津映画の十八番(おはこ)である。もちろん、映画に限らずさまざまな媒体で活用されている一般的な技法ではあるが、小津の使い方は、常軌を逸して巧い。

それを踏まえたうえで、今回考えたいのはこの二つのショットである【図2】。

【図2】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図2】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

これらは『秋刀魚の味』の末尾にあらわれる。二つの画像の主な違いは、画面の最奥に人がいるかどうかである。ちなみに、右の画像は映画の最後のショットである。

妻を亡くしている男やもめの主人公・平山(笠智衆)が、娘(岩下志麻)を嫁に出したまさにその日(結婚式当日)に、自宅の台所でうなだれている姿を映して、映画は終わっていく。

左のショットから右のショットまでの間には、五つのショットが挟まっている。そのうち四つは無人のショットである(しばしば「エンプティ・ショット」と呼ばれる。これが僕の卒論の中心テーマ)。分析に必要なので、順に丁寧に見ていきたい。

まず、上記左のショットに続いてあらわれるのが、下記の階段のショットである【図3】。映画批評家の蓮實重彥が「感動」したことでも知られる、非常に有名なショットである。

【図3】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図3】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

『秋刀魚の味』の最後、間近から捉えられた階段のフルショットがまぎれこんでいるのを目撃し、深く感動せずにはいられない。(中略)これが感動的でないなら映画に感動などまぎれ込む余地など残されてはいないと思われるほどだ。

蓮實重彥『監督 小津安二郎』ちくま学芸文庫、1992年、124頁

その次に、二階の部屋のショットがくる【図4】。かつて娘が使っていた部屋である。部屋の主は結婚によって家を去っており、文字通り無人の空間となっている。

【図4】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図4】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

続いて、鏡に近づいたショットが置かれる【図5】。

【図5】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図5】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

そしてカメラが切り返され、階段へとつながる部屋の入り口側の光景が映し出される【図6】。

【図6】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図6】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

これに先立つシーンでは、結婚式の朝、娘がまさにこの部屋で支度を整え、そして部屋を出ていく様子が描かれていた【図7】。

【図7】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図7】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

図7の直後にあらわれる二つのショットは、下記の比較画像【図8、9】が示す通り、実は先ほどの図4、5と正確に対応している(ただし、スツールの位置などが変わっている。いったい、誰がどのタイミングで動かしたのだろうか)。

【図8】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図8】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図9】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図9】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

図6のショットの次には、無人の階段を見つめる父親を横から捉えたショットがつながれている【図10】。したがって、図3〜6が父親の主観ショットであったことが事後的に示唆されるような構成になっている。もちろん、このときにじっさいに父親が二階に上がって降りてきたわけではないだろう。あくまでも父親の想像上の視線をカメラが肩代わりする形で示している格好である。観客は、暗闇に沈んだ現在の部屋の様子を、先ほどほぼ同じ構図で示された日中の明るい部屋の様子と対比させて鑑賞することになる(この種の見せ方を、かつて擬似フラッシュバックと呼んでみたことがある。いずれ考え直してみたい概念の一つだ)。

【図10】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図10】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

そして、階段を見つめていた父親が奥の台所へと歩き出すのに合わせて(小津一流の見事なアクションつなぎで)ショットが切り替わり、いよいよ映画の最後のショットへと至る。

台所に到達した父親は、右手でヤカンを手に取り、左手に持ったグラスに水を注ぎ込む【図11】。

【図11】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図11】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

そしてグラスの水を一息に飲み干すと【図12】、椅子に腰を下ろし、最初に示した図1(右側)の構図が完成する【図13】。

【図12】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図12】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図13】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

【図13】『秋刀魚の味』小津安二郎監督、1962年

「構図が完成する」と言ったのは、文字通りの意味である。この点において、小津は人間と事物を区別していない。小津が

「笠さん。僕は、君の演技より映画の構図のほうが大事なんだよ」

笠智衆『小津安二郎先生の思い出』朝日文庫、2007年、80頁

と言ったというエピソードがあるが、小津は本気でそう考えていたのである。人間の俳優も小道具として置かれている事物も、ともに構図の空白を埋めるための一要素でしかない。別の俳優は、小津映画に出演している自分は「人形浄瑠璃の人形になった気分だった」と証言しているし、プロデューサーの山内静夫は小津が「植木屋」のたとえで説明していたことを回顧している(小津が鋏を入れる際に、植物のほうで勝手に動かれては困るという趣旨)。この酷薄とさえ言っていい映画観(世界観)に、まずは小津の怖さがある。

僕は、このことを〈器〉の比喩(概念)で考えてみたい。小津映画にとって映画のフレームは器である。小津がしばしば本物の小道具(茶碗や湯呑みなどの食器類、つまりは器)にこだわったこととも関係してくるだろう。空の(エンプティな)器に何をどのように盛りつけるか。監督の手腕が問われるのはその一点にある。

俳優(笠智衆)を置いたことで、映画の最後の構図が完成する。しかし、重要なのは、それですべてが満たされたわけではないということである。

父親は、グラス(器)を水で満たした。そしてそれを飲んだ。つまり、自分の身体という器に移し替えた。自分という器を満たそうとした。娘を手放した父親は悲哀と孤独に苛まれている。心にはぽっかりと穴が空いている。その空白が、たかが水ごときで埋まる道理はない。

一見すると構図は埋まっている。しかし、そこには決定的な空白が残されている(〈未完性〉)。観客は、その空白を抱えたまま、劇場をあとにすることを余儀なくされるのである。この充足感と欠如感の同居こそが、観客に“余韻”をもたらすものの正体なのかもしれない。

小津自身にはもちろんそのつもりはなかっただろうけれど、『秋刀魚の味』の最後のショットは、結果として小津映画の最後のショットになってしまった。それとも、還暦の誕生日当日に亡くなった小津は、そうした事態すら想定していたのだろうか。いずれにせよ、我々観客は、あまりも深すぎる余韻に今も浸り続け、言葉を紡ぎ続けている。

***

人間をモノ扱いするような事態は、ほかの小津映画にも見出すことができる。真っ先に思い浮かぶのは、『東京物語』(1953年)の逃亡と末尾の対比だろう。ここでは、同じ構図(器)を維持しつつ、空白を残すことで、老妻の死の喪失感を可視化している【図14】。

【図14】『東京物語』小津安二郎監督、1953年

【図14】『東京物語』小津安二郎監督、1953年

あるいは、同じく『東京物語』のこの対比【図15】。左右の画像のどこが変わっているか、わかるだろうか。一人だけ人物が入れ替わっている。該当シーンをご覧いただければ一目瞭然だが、それは構図上の空白を埋めるためであり、空白を埋めることができれば、究極的にはそこにいるのは誰であっても構わないのである。

【図15】『東京物語』小津安二郎監督、1953年

【図15】『東京物語』小津安二郎監督、1953年

ただし『秋刀魚の味』のラストは、構図を満たしつつも、同時にそこに空白を残すという高度な実践になっていた。この飛躍がどこから生まれたのか、小津が最後に到達した境地なのか、それとももともとあったものなのかは、今後の研究を通して明らかにしていきたいところである。

小津にとっては、家族もまた〈器〉なのだろう。家族には人の出入りがある。新たな命が生まれる場所であり、やがて結婚や死によってその外へと出ていく場所である(誰かが出ていかなければ、しばしば他の人が生きるための場所が確保できなくなる)。しかし、家族という器は世代を超えて継承されていく。

もちろん、その家族が暮らす場としての家もまた〈器〉である。おそらくは、そこに小津安二郎が家族(の離合集散)を、そして彼らが暮らす場としての日本家屋を、厳密な構図にこだわって撮り続けた理由の一端がある。

***

数多の映画研究者や映画批評家が言及している、小津の『晩春』(1949年)に出てくる映画史上もっとも有名な壺のショットにも〈器〉から迫れるのではないかと思う。壺は器にほかならないからである。

【図16】『晩春』小津安二郎監督、1953年

【図16】『晩春』小津安二郎監督、1953年

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