状況報告|熊本地震被災記録
7月28日(火)の16時27分に、熊本地方で最大震度7を観測する大きな地震があった。
自宅や勤務先の大学のある地区は震度5強の揺れに見舞われた。
結論から報告すれば、僕も家族もみな無事である。
7月28日(火)。僕は午前中の授業を終えたあと、(夜を徹してスライドを準備したため)午後から研究室で仮眠をとっていた。経験したことのない強い揺れにさらされて、慌てて飛び起きた。
僕自身に怪我はなく、研究室の書棚から本が落ちてきて多少散乱したくらいで、物的な損害もほぼなかった(研究室にはガラス製の食器類も置いていたが、すべて無事だった)。

書棚からゴジラが降ってきた。
散らばった本のことは後回しにして、ひとまず電子機器類の電源を切り、落下したら面倒なことになりそうなものをざっと床に並べて、研究室を出た。
学生たちに声をかけながら建物を出て、急いで自宅に戻ってみると、リビングテーブルの下で妻に抱き抱えられた二人の娘(4歳と1歳)が大泣きしていた。
自宅では飾り棚に置いてあった時計や写真立てが落下して、ガラス部分が割れて飛散していたが、大した量ではなく、すぐに片付けは完了した。ただちに避難しなければならないような状況ではなかったので、(自宅のインターネット回線は切れていたのでスマホで)ニュースを見ながらさっと夕食を済ませ、余震に警戒しながら娘たちを風呂に入れて、寝かしつけることにした。電気や水が使えたのは本当に幸運だったと思う。
その頃には娘たちもだいぶ落ち着いており、ほどなくして眠ったようだった。僕も一緒に寝てしまい、深夜に目覚めてから改めて、大学からの連絡や地震に関する報道を確認した。
翌29日(水)の授業は全学的に休講が決定していたため、ゼミ(前期最後の授業回だった)の学生や授業の受講生向けに今後の対応についてメール連絡しつつ、大学の安否確認システムへの登録を済ませた。地震報道のなかで、ひときわ僕の目をひいたのはイオンモール熊本の爆発事故だった。慄然とした。
イオンモール熊本は自宅から車で30分弱のところにある。子どもたちの遊び場スペースも充実しており、今月も家族で遊びに行ってきたばかりだった。

イオン2階にある「のびっこジャンボ」で遊ぶ娘たち。
2年前には、イオンモール熊本内のイオンシネマで上の娘と『アンパンマン』の劇場版を鑑賞している。

イオンシネマのすぐ隣には「楽市楽座」というアミューズメント施設がある(どちらも2階)。
もしかしたら、接客してくれた従業員のなかに何らかの被害を受けた方がいらっしゃるかもしれない。文筆を生業にしている身でありながら、通り一遍のお見舞い以外に、うまく言葉が見つからない。
娘たちは、自分が遊んだ場所がどうなったかをまだ知らない。でも、今はそれでいいと思っている。
7月29日(水)。ひと通りのメール連絡を済ませ、処方された二種類の睡眠薬を服用して、午前5時ごろに布団に入った。そのまま17時まで眠り続けた。悠長に寝て場合ではないのだろうが、21日(火)の国際カンファレンスの発表前あたりから、日常的な業務との兼ね合いもあってうっすらと緊張状態が持続しており、うまく眠れない日が続いていた。授業がなくなったことで緊張の糸が切れたのかもしれない。多少言い訳めいたことを言い添えておくと「ここで眠っておかないと今後何か起こったときに対処できなくなる」と本能的に感じたのかもしれない。いずれにせよ、眠っている間に大きな余震がなかったのは幸いだったとしか言いようがない。
30日(木)、31日(金)の休講も決まったため、起床後は教員間で必要な連絡を取り合って対応を進めつつ、友人知人からの安否確認に返信していった。30日には一件だけオンラインの業務が入っていた(この日の朝に自宅のネット回線が復旧した)。娘の幼稚園も休みになっており、僕も基本的に在宅していたので、皮肉なことに、娘たちと一緒に過ごす時間がここ最近では一番確保できた。特に上の娘はそのことを喜んでくれているようだった。もちろん地震の影響もあっただろう。いつも以上にテンションが高いように見える娘を見て、複雑な思いがした。
今回の地震に際して、小津安二郎の映画『彼岸花』(1958年)に出てくる夫婦の会話を思い出した。家族四人で箱根に遊びに来ており、娘二人は芦ノ湖でボートに乗っている。以下は、湖畔のベンチからそれを見つめる夫婦の間で交わされるやりとりである。

芦ノ湖畔で語らう夫婦(佐分利信、田中絹代)。『彼岸花』(小津安二郎監督、1958年)より。
「時々そう思うんだけど、戦争中、敵の飛行機が来ると、よくみんなで、いそいで防空壕へ駈けこんだわね。節子はまだ小学校へ這入ったばっかりだし、久子はやっと歩けるくらいで、親子四人、真ッ暗な中で死ねばこのまま一緒だと思ったことあったじゃないの」
「ウーム、そうだったねえ」
「戦争は厭だったけど、時々あの時のことがふッと懐しくなることあるの。あなた、ない?」
「ないね。おれァあの時分が一ばん厭だった。物はないし、つまらん奴が威張ってるしねえ」
「でも、あたしはよかった……。あんなに親子四人が一つになったことなかったもの……」
小津映画には、自分の人生と不思議なほどに重なる場面が多々ある。それこそが小津映画の普遍性の証なのかもしれない。あるいは、僕自身が無意識のうちに小津映画をなぞるように生かされているのかもしれない。
もちろん、僕たちは戦争を経験したわけではない。天災の極北たる地震と、最大の人災たる戦争を同列に語ることもできないだろう。
決して今般の地震の被害を軽んじているわけではない。また、所詮は僕自身のエゴでしかないことも自覚している。それでも、平穏な日常が戻ってきた先に、いつか家族で経験した思い出のひとつとして語れるようになる日がくることを、強く願っている。
すでに登録済みの方は こちら
